オススメ映画

2001年4月から数え始めた映画鑑賞が、2020年9月27日、遂に1万本を突破しました!

「オススメの映画を教えてほしい!」という声を頂く機会が本当に多いので、

1万本突破を記念して、僕の独断と偏見によるオススメの映画を紹介していきます。

『パピヨン』 

いや〜かなりヘヴィーな映画だった。看守にそんなに追及されても、ミミズやゴキブリを食べるくらい空腹でも、絶対に口を割ろうとしないパピヨン。捕まっては逃げ、捕まっては逃げ、それでも決して諦めない彼の生き様には感動した。長尺の上に内容の密度が濃く、見終わった後は疲れ果てていたのだが、それでも最後まで楽しめたのは実話ということだからだろう。あの自由への異常な執着心は、平凡な日常生活を送っている僕に喝を入れてくれた。あと、パピヨンとは逆で、すぐ諦めて環境に順応するルイとの対比も面白かった。エンドロールには鳥肌が立った。

『仁義なき戦い』

いきなり原爆投下の写真から始まるオープニングに驚きを隠せなかったが、むしろ戦後直後なんだからということで作品に説得力ができた。これは最高の群像ドラマである。暴力にドスにピストルのオンパレード。なのに人間そのものをしっかり描けているのは感動すら覚える。これほど強烈な人間(俳優)ばかり出ていてよく作品として成り立ったなと思う。中でも菅原文太が演じる広能昌三が凄すぎる。物腰や啖呵、そして存在感に圧倒されっぱなしだ。日本映画において任侠映画のジャンルの原点であり頂点でしょう。恩を仇で返すところが極道を通り越して非道だ。

『追憶』

正しさを人に押し付けようとするケイティと、現実的に人を愛することを彼女に教えようとするハベルとのすれ違いの愛の物語。何て言えばいいのか分からないのですが、一昔前の大人たちを理解しようとする時、この映画は最も適している様な気がする。時代背景と生い立ち、それに伴う思想的な部分まで、この時代を表現する上で最高のキャスティングだ。あと、初見の時は泣いてしまった。まあ実は見る度に泣けるのだが、いくら愛し合っても、一緒に生活をしていくとなると話が変わってくるんだなと知った。これは年齢を重ねる度に見ると年々味わい深くなっていくだろう。

『燃えよドラゴン』

これぞカンフー映画の原点。あの音楽、そして奇声を発しながら繰り出される突きや蹴りは今見ても本当にシビれる。あと、この作品のブルース・リーは、他の作品と違って本当の殺意を感じる。画面越しにも伝わる異常な気迫を感じるのだ。今思えば、この作品が世に出るまでのアクション映画というものは必ず銃などの武器が出てきたが、主に素手を武器として戦うのはこの作品が初めてかもしれない。あと、こんなこと言っちゃうと怒られるかもしれないけど、この映画を見た後はその辺の人たちを蹴ってみたくなる笑。とりあえず、考えるな!感じろ!

『エクソシスト』

言うまでもないが、オカルト映画の金字塔。最初に見た時の衝撃は大きなものだった。登場人物はそれぞれに心身を病んでおり、悪魔はその心の隙間に容赦無く潜り込んでくる。怖がらせるだけでなく、人間の葛藤や信仰やエゴ、最愛の人の死など、身近で普遍的なテーマが盛り込まれている。また、ドキュメンタリータッチで描いたことは大成功だっただろう。それが、ありえない物語がありえそうな物語として表現できたのだと思う。この作品でカラス神父を苦しめた事は、別に悪魔でなくても人間にもできることだ。偶像崇拝への問いかけも僕の中では非常に考えさせられた。

『惑星ソラリス』

この作品は好き嫌いが極端に分かれる気がする。何故なら理解困難であり意味不明だからだ。人間にとって死とは絶対的なものであり、すなわち愛もまた死する。もし自殺した妻の全てが復元されたら、それでも愛は再び蘇生するのだろうか?という命の哲学と言える作品なのだ。ラストのシーンは本当に興味深く、非常に考えさせられるものであった。もちろん、感動する人もいれば、難解であるが故に無理解に終わる人もいるだろう。ただ、そういった観賞後に考えさせられるというのは凄く貴重だ。人間の深層心理を描いた傑作であることは疑う余地はない。

『激突!』

スピルバーグ監督の代表作だと思っている。この作品は米国ではテレビドラマとして放送されたのだが、日本では映画館で上映されたので特別枠で紹介します。これはサスペンスホラーとしては傑作なのではないだろうか。とりあえず怪物が人間を殺すといった陳腐なホラー映画なんかよりも人間の方が数倍怖くて、最後の最後まで手に汗を握りっぱなしだった。きっと運転手の顔が分からないところに怖さを感じる人は多いだろうな。個人的には最後まで顔出さずに謎のままにしてほしかったなとは思う。ただ追いかけられるだけの内容なのに、なぜこんなに面白いのだろう。

『ダーティハリー』

男の美学とやらを真正面から見せつけてくれるハードボイルド映画の金字塔。カメラワークや音楽や台詞はもちろんのこと、何よりクリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハンが最高に格好良くてアンチヒーローっぷりに惚れ惚れする。また、ワルサーP38を世に知らしめたのがルパン三世なら、44マグナムを世に知らしめたのはこの作品だろう。世の中の不条理に対抗できるのは怒りなのではないかと僕は思う。怒りが世の中を変えていくのであれば、筋の通った怒り方でないと秩序が根本的に揺らいでしまう。その辺りの問題提起も凄く良かったと思う。

『時計じかけのオレンジ』

これぞ悪の美学。愉快なのか不快なのか分からなくなるほどの感覚に襲われた。これはロボトミーという外科手術がモチーフになっているんだと思う。アレックスを強制的に手術することで、良心への改善や反省する気持ちなど、本人の意思とは全くの関係なしに、単に犯罪をできなくさせてしまう。これは非常に難しい問題だ。結局、道徳的な改正なしには、単に犯罪をできなくさせても意味がないということだ。だから最後の拍手で喜ばれるシーンには本当に感銘を受けた。あと、暴力とベートーベンがマッチするなんて考えたことすらなかった。美しいバイオレンスだ。

『小さな恋のメロディ』

観る度に失ったものを思い出す様な、心を締め付けられる切ない想いと痛みを覚え、そして童心に戻ることができる宝箱の様な作品。あの音楽が流れ、お墓で初デートするシーンが大好きだ。「もう一週間も愛してる」だなんて、なんて素敵な言葉なんだろう。「結婚したい」と言うメロディに対して、父親が一緒に悩んでくれるのが何だか凄く嬉しい。ちなみになんですが、この作品は、元子供の大人達が理想とする子供時代を描いた願望作品なんだと思う。過ぎ去ってしまったあの頃に戻ってやり直す事はできないが、この作品を見て擬似体験することができるのだろう。

『ベニスに死す』

休暇でベニス(現在のベネチア)の島に来た作曲家のグスタフが、たまたま遊びに来ていた美少年のタジオに心を奪われるというお話だが、決してゲイを描いた映画では全くない。いわばこれは、苦悩と葛藤、そして墜落を描いた退廃美なのだ。グスタフがタジオに対して投げかける目線が、気持ち悪いほど痛々しい。しかし、そこに学びがある。規律を重じていた彼がそこまで心境の変化があったのは、人間は、完全なる美というものに出会った時、ひたすら敗北し、そして滅びるしかないと言うことなのだろう。ただ、それでいいのだ。ああ。ため息が出るほど素晴らしい。

『ひまわり』

泣いた泣いた。恋人同士が戦争によって引き裂かれていく悲劇を描いた反省映画の傑作だ。これほどまでに情の哀しさを見せてくれる作品が他にあっただろうか。戦争って本当に残酷だな。この作品は駅のホームでの別れのシーンが3回あるが、二人の置かれた状況が変化しており、その度に切なさの意味合いも違ってくる。もう胸を掻きむしられる様に見ているのが辛くて何度も落涙しました。ところで、ソフィアが帰還兵から夫の消息を聞いた時、帰還兵に対して感謝の言葉はないのか?と思う方がいるかもしれないが、それは平和ボケと言っていい現代の感覚なんだろう。

『トラ・トラ・トラ!』

真珠湾攻撃を日本と米国のそれぞれの視点で作った凄い映画。感情移入などほぼ皆無と言えるドライな演出で、前半は両国の政治的な駆け引きを余すことなく見せつけ、後半では説得力のあるカタルシス。第二次世界大戦の敗戦国である日本を、後から生まれたことで知っている僕でさえ、戦争そのものの問題は置いといて、あくまで映画として、一方的、そして圧倒的な奇襲の戦果には不謹慎にも感動すら覚えた。ちなみにシーンによっては実際に死傷者が出たらしい。CGなんてなかった時代とはいえ、ガチンコの撮影がこの超力作を誕生させたんだろう。

『明日に向かって撃て!』

言うまでもなくアメリカン・ニュー・シネマの傑作。ラストのストップモーションなんてもはや芸術で、たったの2時間で人生を見た。現実と向き合おうとしない二人の性格は、逆に言えば過酷な時代を生き抜くための術だったのだろう。この作品は、嫌なことからは逃げればいいんだと思わせてくれる。逃げた方が楽しいんだと夢を見させてくれる。そして、そのためには高い代償を支払わなければならないこともラストで教えてくれる。最後は死を覚悟したのではなく、希望を持っていたんだと思う。二人にとって、人生がいかに大きなものだったのかを感じさせてくれた。

『ワイルドバンチ』

時代の流れについていけなかったアウトロー達の滅びの美学。時代の遺物というか、汚物というか、そうなってしまったオッサン達の古臭くても泥臭くても誇り高く生きようとするその様は、カッコよく輝いていた。今や伝説となったラストの殺戮シーンは、生き死にの美しさに感嘆の念を抑えきれなかった。行き場のない狂気は、ただただ生死の意味のみに執着し、この行為は神の裁きの様に一切を無にする。時代遅れの人間に対する共感と古き良き時代の郷愁を与えてくれる。

『真夜中のカーボーイ』

米国の現実に失望しつつも、それでも夢を諦めきれない二人の男の友情を描いた名作。彼らの人生は、彼ら自身にとっても、端から見た者にとっても、成功と言えるものではないだろう。しかし、夢を見たこと。そして夢を叶えようと大いにもがいたこと。この映画に心を打たれたのは、夢に対する純粋な気持ちを僕が忘れてないからだ。彼らの生き方というものは哀れな程に安直ではあるが、その純粋な精神は本当に美しくて胸を打った。救いのない内容だが、何故か後味が爽やかだった。ちなみにこの作品でダスティン・ホフマンの大ファンになった。

『猿の惑星』

この作品、本当に面白い。単に脚本が優れているだけでなく、かなり深いメッセージが込められていると思う。人間が滅ぼしてしまった地球。人間以外の生物が支配した地球。滅ぶ以前の地球を知っている喋れる男と、滅ぶ以前を知らない喋れない女のコントラストが実に深い。ネタバレになるので詳しいことは書かないが、最後にある物を見た男が泣き崩れるシーンがあるが、女は理解できずに立ち尽くしている。結局のところ、意思を通わせる手段のない人間と一緒にいても、本質的には独りでいることと変わらないということなのだ。そこに愛の本質が見えた気がした。

『2001年宇宙の旅』

SF映画の金字塔であり、今なおその輝きは失われていない。レオナルド・ダ・ビンチの絵画に匹敵するほどの芸術と哲学が融合した大傑作だ。モノリスの影響で猿が知恵を身につけ、猿が投げた骨が宇宙船へと変化する長い長い時間の移り変わりを一瞬で見せてしまうアイデアは大発明だと思った。猿から人へ、人からステージチャイルドへ。人類はやがて究極のステージに到達する。しかし、この作品の主役は人間ではなく、宇宙そのものであると気づいた時、今まで考えもしなかった奥深さを感じ取ることがきっとできるだろう。

『博士の異常な愛情』

キューブリック監督の才能が大爆発した風刺映画の傑作。米ソ冷戦時代下でこんな作品を世に出しちゃう彼は悪趣味過ぎて逆に最高だ。むしろ、自分が当時の当事国民だったら笑えなかったのではないだろうか?そして、ピーター・セラーズの1人3役は、誰も真似できない一世一代の名演技だろう。まさに悟空、悟飯、悟天を一人でやっちゃう様な俳優界の野沢雅子そのものだ(野沢さんの方が年下だが)。しかし、ひたすら無慈悲な恐るべき作品だ。特に、無数のキノコ雲と同時に流れる「いつかまた晴れた日に会いましょう」という歌が毒っ気が効いていて痺れた。

『マイ・フェア・レディ』

1960年代はミュージカル映画の傑作が沢山出たと思うが、この60年代を代表する作品だろう。この作品を鑑賞する上で、特に当時のイギリスの階級社会を理解するといい。階級によって言葉の使い方が違うが故に、話し方だけでその人の出身階級が分かってしまう。そういう観点で鑑賞すると、イライザが話す言葉はただの田舎訛りなんかではなく、下層階級の人間であることが理解できる。ヘンリーによって何から何まで仕付けを受けるのだが、まさにそれができることが上流階級の証である。また、男性優位の時代背景もあるので、ジェンダー問題においても学びがある。

『アラビアのロレンス』

帝国主義と民主独立のジレンマの中、自らの理想を追い続けたロレンスの苦悩が痛いほど感じることができる。戦争を背景に、この雄大な砂漠の景色と壮大な音楽の美しさが織り成すスペクタクル・ロマンは、映画史に残る大傑作だろう。脚本的に、序盤は冗長に感じるかもしれないが、むしろ物語性よりも映像を存分に味わってほしいと思う。しかしこのロレンス。なぜか愛着を覚える。別に同じような経験をしているわけではないけれど、栄光や挫折における彼の心理状態になぜか共感できるのだ。共感はできるが、境遇が真逆だからこそ愛着を感じるのかも知れないな。

『用心棒』

黒澤明監督作品の中でも3本の指に入るであろう傑作。冒頭、三船敏郎が演じる桑畑三十郎が現れ、その姿だけで「こいつ、只者ではないな」と思わせる貫禄が堪らない。また、この作品はアクションであると同時にコメディでもある。緊張と笑いが上手く噛み合い、時代劇らしくないところが大きな魅力なのだ。しかし、この時代の役者の顔は本当に凄いと思う。演技力という次元ではなく、もっと深いところから感情が湧いてきて、見ているこっちまで心に迫ってくるものを感じる。殺陣自体は凄まじいのはもちろんのこと、役者から溢れ出る気迫は、まさに鬼気迫る重圧だ。

『ウエスト・サイド物語』

ジャンル的に好き嫌いで大きく分かれるかもしれないが。ミュージカル映画の記念碑的作品。この先どんなに世紀が変ろうとも、脈々と生き続けるブロードウェイ・ミュージカルの伝統はこの作品に帰依するに違いない。また、この作品の根底には、貧困と差別、そして不寛容による対立がテーマになっていると思う。米国が抱える様々な問題を、若者たちが歌って踊る。単に言葉を歌や踊りに置き換えるだけではなく、多面性を秘めていると感じた。特に最初の場面は、言葉で語る以上に歌や踊りで伝えているという印象を受けた。

『太陽がいっぱい』

アラン・ドロンは不遇の少年時代を送ったからだろうか、何処か卑しさが漂っている。そんな彼にとって、トム・リプリー役は適任だったと思う。その証拠に、この作品で彼が食事をする場面では、どんなに上品に振る舞おうとしても不釣り合いな様子に映る。そんな卑しさから抜け出そうとする不器用な男の悲しさを描いたのが、まさにこの作品なのだ。しかし、こんなに孤独なのに、どこか満ち足りた表情を見せるところも魅力の一つだろう。それにしてもあの音楽がなかったら、この作品は傑作になり得たのだろうか?映像と音楽は表裏一体だ。

『サイコ』

サイコスリラーの原点であり、ヒッチコック監督作品の中でも間違いなく3本の指に入る傑作です。とにかく怖い映画を見たいという方は、まずはこの作品を見てはいかがだろうか。怪物や幽霊なんかより、日常の中にいる人間の方がずっと怖い(興味深くもある)。何より雰囲気は最初から最後まで緊張感があって、先が読めない展開にハラハラドキドキした。しかも、カラーの選択肢がある時代にもかかわらず、あえてモノクロを選択している。でも、カラー以上に色彩を表現しているところが凄い。彼にとって白は光で、黒は影なのだろう。墨絵の如く奥深き作品である。

『荒野の七人』

あの超傑作、黒澤明監督の『七人の侍』(これもいつか紹介します)を、ユル・ブリンナーが惚れ込んでリメイクの権利を買い取って制作された本作。故に本家と比較されてしまいがちですが、比較なんて野暮と思わせる程の完成度である。超豪華俳優陣がそれぞれのポジションで好演をし、音楽は最高にカッコよく、テンポも気持ちが良い。あと、この作品から大事なことを学べる。一つの仕事に対する『責任』である。農民が現代のサラリーマンなら、七人のガンマンは現代の職人だろう。最後に、西部劇と言えば?と問われれば、本作が真っ先に浮かぶだろうな。

『お熱いのがお好き』

ビリー・ワイルダー監督、マリリン・モンローにジャック・レモン。無敵だ。最初はマフィアモノだと思っていたが、実はかなりハイレベルなコメディで、例えるなら落語の様な作品だ。サゲがバシッと決まる西洋が生んだ落とし噺の傑作である。かなりの人数が打ち殺されるシーンがあるのに、それでもなぜか笑って楽しめるのは、脚本の素晴らしさに加え、映像の撮り方が実に上手いからだろう。白黒なのもさらに良い。実は今回、勇気を出して思い切って再鑑賞してみた(基本的に年月が経ったら再鑑賞はしない主義)。あの時と全く色褪せてなくて本当に良かった。

『隠し砦の三悪人』

黒澤明監督の中では最も娯楽を追求した作品と言えるだろう。ストーリー自体は万人受けとは言えないかもしれないが、分かりやすい面白さに拘っているし、何より全てのキャラクターが際立っている。内容にはあまり関係のないことだが、作中の風景が全体を通して西洋風な気がする。強いて言うなら西部劇を思わせる。黒澤明監督は、後に世界の名だたる映画人に多大な影響を与えたが、黒澤明監督もまた、西洋の映画人から多大な影響を与えられたに違いない。真壁六郎太が馬に乗りながら刀を振り回して戦うシーンは危険過ぎるが、そこが本当にリアルで役者魂を感じる。

『戦場にかける橋』

観る前は戦争映画と思ったが、個人的には全然違った。この作品の根底には『無抵抗運動』がテーマになっている様な気がするが、何より仕事に対するプライドというものを教えられた印象だ。期日までに橋を完成させたい日本軍の面子と、その一方で日本軍だけでは成せなかったであろうことをイギリス軍の手によって成功させたという現実。齋藤大佐とニコルスン中佐の対立は、お互いの信念の違いによるものだからこそ一歩も譲ることができない。しかし、その対立を経て和解から生まれる友情の証が橋だったのかもしれない。ラストは非常に考えさせられる。

『エデンの東』

この作品は、ジェームズ・ディーンの、いや、ジミーの最高傑作だと思っている。ジミーが演じるキャル・トラスク。心の葛藤に嘆く屈折した若者の、特にあの寂しげな表情は誰にも真似できないだろう。この映画を観る際は、旧約聖書の『アダムとイヴ』『カインとアベル』の話が予備知識としてあるといいかもしれない。善と悪、罪と罰、そして愛。まさに人間にとって切っても切れない永遠のテーマを突きつけられる。たとえ悪人であっても、悩み、恐れ、そして愛を求めているのだ。

『道』

普遍的な人間の悲しさを描いた傑作。正直、観なきゃよかったなと思うくらい悲しくなりました。人間は、時に神の言葉を心から欲し、時に人間で在ることを心から欲する一貫性のないアンバランスな生き物だ。だが、それが人間としては正しい姿なのかもしれない。人生において、自ら選んできた道を見つめ直すことは可能だが、選ばなかった道を見つめ直すことは不可能だ。つまり、自分のしてしまった行為の愚かさに気づいたとしても、選択してきた道を後戻りすることはできない。人生の岐路に立った時、この作品の教訓を胸に悔いのない選択をしたいと思う。

『裏窓』

ヒッチコック監督の中で最も好きな作品。映像の力を最大限に生かすことにおいては、彼の右に出る監督はいないかもしれない。と言うのも、オープニングでは、ナレーションで説明してしまいがちな所を、カメラ1台で説明してしまうし、主人公のことやアパートの住民のことに至るまで、全て映像で説明してしまうところが実に巧みだ。この作品は、主人公ジェフリーズの視線の先で行われる。特に『覗き』に関しては、覗かれる側ではなく、覗く側の『覗く』ことそのものを見せ、そこから生まれる距離感を利用して最高の『怪しさ』を表現している。ヒッチコック万歳。

『禁じられた遊び』

世の中の不条理を描き、ドキュメント性に溢れる命の尊厳を問うた反戦映画。ドイツ軍の攻撃によって両親を失った少女ポーレットは、少年ミシェルと出会い、彼の家で過ごすことになる。その家と隣の家の大人たちは、国家間の大きな戦争とは別に、隣家間で小さな戦争をしている。大人と子供。そして少女と少年。それぞれの距離感を上手く描いていて本当に切ない。現代の日本は、死というものが日常からかけ離れたものになってしまったのかもしれないが、この時代は日本でも死が身近なものだっただろう。戦争と墓遊び。どっちが禁じられた遊びなのかもうお分かりだろう。

『サンセット大通り』

物語はフィクションだが、物語っていることはノンフィクションだと思う。サイレントからトーキー。モノクロからカラー。そんな移り変わりの時代を背景に、ハリウッドの華やかな銀幕の裏側を見事なまでに写実した内幕劇。特筆すべき点は、過去の栄光を諦めることができず、復活を夢見る女優ノーマ・デズモンドを演じたサイレント映画の大スター、グロリア・スワンソンだろう。ノーマの老いを受け入れることができない姿というのは、時間と共に自分の価値の変化を分かっているが故の足掻きなのだろう。その愚かな姿がとても人間らしく、なぜか美しく見えたんだ。

『第三の男』

サスペンス映画の教科書と言ってもいいくらい、脚本、音楽、映像、描写、演技、どれをとっても観る度に新しい味が出てくる作品。時代が第二次世界大戦直後の不安定なオーストリアということもあって、この雰囲気を現代で表現することは不可能でしょう。これはホリー・マーチンスというフラレ男の典型的パターンを最大限に描いたものだと思っている。それはただのダメ男という意味だけではなく、彼が戦勝国のアメリカ人で、彼の恋愛の舞台が統治されたウィーンだったのも関係しているだろう。光と影を巧みに使った白黒の芸術的映像美にも注目です。

『オズの魔法使』

もはや美術作品。子供向けと子供騙しの違い(もちろん前者)を遺憾なく教えてくれる夢とロマンが詰まった名作。この美術作品を観る度に、僕は童心に無事帰還することができる。単なるファンタジーでは終わらず、そこには家族の物語がしっかりと根を張っている。「家庭の中が幸福でなければ、外に出ても幸福を掴むことはできない。求めるものは既にそこにある」というメッセージが素晴らしい。セピアからカラーに変わるところが大好きだ。難しいかもしれないけれど、ドロシーの様なピュアな気持ちをいつまでも持ち続けたいと思っている。

『風と共に去りぬ』

南北戦争が背景の中で、恋愛を軸に繰り広げられる壮大な人生物語。「黒人は白人に忠実」というステレオタイプな部分があるが、むしろ米国社会の素性が覗けたという意味でも、自分の中の無意識的加害性に気づかされるという意味でも傑作である。ビビアン・リー演じる超わがままなスカーレットが最高に素晴らしい。愛している人は手に入らないのか?それとも手に入らないから愛しているのか?「お前に似ていた。お前だと思って甘やかすのが楽しみだったんだ」という台詞で涙しました。ちなみに約4時間あるので、余裕のある時に観て下さい。

『或る夜の出来事』

文句の付けようがない最高のラブロマンスコメディであり、またロードムービーの先駆者的存在。サイレント映画からトーキー映画に移り変わった時代の初期作品だが、トーキーの意義を最大限に発揮したのは、クラーク・ゲイブル演じるピーター・ウォーンのマシンガントークにあるのかもしれない。何よりピーターはワイルドでセクシーで男の僕でも惚れ惚れするほどカッコイイ。ヒッチハイクの場面は笑えるし、結婚式の場面は泣ける。ヒロインのエリーは最初は魅力をあまり感じないが、恋心が芽生えてからだんだんと魅力的になるのも見所だ。